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zoom RSS 赤松小三郎ともう一つの明治維新を読んだ

<<   作成日時 : 2017/01/09 11:51   >>

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 「赤松小三郎ともう一つの明治維新」で、彼が幕末(1867年5月)に主権在民を提唱していたことを知った。坂本龍馬は有名だが、彼の「船中八策」(1867年6月?)には現存する資料の裏付けがないという。

 赤松は、公武合体を提唱したが、6人の実務者による内閣と、普通選挙による二院制の議政局をつくるとした。この議政局の権限がすごい。「国事は全て議政局で審議、決議する」「内閣が議政局の決議に反対のときは、議政局は再度審議し、公正な内容にできれば、直ちに議政局から国中に布告する」とある。赤松の考えがどこから生まれたのか、福沢諭吉の「西洋事情」(1866年)から学び、日本の現状に具体化したものだという。首相の「解散権」や大統領の「拒否権」を認めていない。

 これをもとに薩摩と土佐の同盟(1867年6月)をつくり大政奉還を進言した。ところが日本を中国と同じく植民地にしようと狙っていたイギリスが薩摩に介入(同年7月)し薩長同盟(8月)を結び、薩土盟約を壊し(9月)、鳥羽伏見の戦いで徳川政権を倒した(1868年=明治元年)。徳川政権が日米修好通商条約(1858年)で輸入関税20%としたのに、長州による下関戦争敗北(1864年)の結果イギリスに5%の関税を認めさせられ(1866年)、この不平等を解消するのに苦労した。

 赤松小三郎は「真田丸」で知られた信州上田の出身で、そこに「赤松小三郎記念館」があるという。一度訊ねてみたいと思う。赤松は37歳で暗殺されたが(1867年9月)、日本国憲法の源流が外国の押しつけではなく、日本の伝統から生まれたことを示している。

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