富山県戦前社会運動史を読んで気づいたこと

30年前、1983年に内山弘正氏がまとめた戦前の富山県における社会運動史が発刊された。
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これを読んでみようと思ったのは、北日本新聞5月21日に掲載されたふるさと風土記に紹介されていた笠井喜美代さんの言葉に触発されたからだ。笠井さんは日本の女性団体、新日本婦人の会の会長ですが、小矢部市出身の方でもあります。そこで自らを「歴女」と紹介され、「1931年の大弾圧で検挙され、31歳で亡くなった闘士がいたこと」がこの本に出ているとあったからだ。

拾い読みだが、読んでみて気づいたこと。
内山氏が「補遺訂正」で「戦前これだけの運動を展開しながら、それが戦後に十分実っていると思えないのはなぜか」との質問に答えようとして書かれた、「付論 富山県戦前社会運動史の歴史的評価について 大正デモクラシーの重要な意義」を読んで気づいたことを記録しておきたい。

富山県では米騒動の発祥の地として有名である。戦前にこれだけの運動といわれているのはこのことも含まれる。内山氏は地方の戦前の社会運動を評価する基準を3つ上げている。A全国レベルの運動にどれだけ貢献したか、Bそれは県民の中にどれだけ浸透し、県民の民主主義的自覚を広め、高めたか、Cその民主主義的英雄精神は、どれだけ人の魂を打つものであった。これに照らすと、富山県の運動はAとCは十分満たされている。この著書で紹介されている通りだ。

問題は県民の中にどれだけ浸透したかだが、内山氏は大正デモクラシーで高揚した時期に起きた社会運動と、それ以後弾圧された中で戦われた時期の社会運動とに分けて分析されていた。民主主義が高揚していた時には比較的県民に受け入れられやすかったということかもしれない。内山氏は富山県、長野県、新潟県の運動の比較で論じていられた。

そこで教訓的だと思ったのは、要求実現の運動とともに学習運動を意識的に発展させてきたことであった。長野での青年団を中心とした学習運動、新潟県では農民組合を中心に農民学校や高等農民学校を開設し、科学的社会主義の思想を広く浸透させたと紹介されていることである。
これは今日にも生かすべきことだと思った。

なお、内山弘正氏は元日本共産党富山県委員長を務めた方ですが、その当時はまだ私は子どもで共産党には入っていなかったので、直接の知り合いではない。富山市に県民会館内山分館があるが、これは内山氏の自宅後で、県へ寄付されたものである。
私もよく内山邸へ行ったが、その時の写真は次のページにある。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~sunata/photo/2006/20060407_sakura.html

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