リンカン大統領が奴隷解放の立場にたつ経緯について、長久理嗣氏の「月刊学習」7月号から学んだこと

「月刊学習」7月号に掲載された、マルクス、エンゲルスとアメリカ第6回、南北戦争と革命論の探求(下)を読んで、一つ理解を深めたことがある。
以前に読んだハワード・ジンの民衆のアメリカ史で、リンカンが奴隷制にきっぱり反対していたのではなく、人種差別への偏見を持っていることが書いてありました。そのことは、私のブログにも書きました。
http://06996341.at.webry.info/201005/article_3.html
それと、リンカンの奴隷解放宣言、リンカンの大統領再選にあたってのマルクスの祝辞との関係が今一つよくわからなかったのです。
http://06996341.at.webry.info/201005/article_6.html

今日、この「月刊学習」の長久理嗣氏の論文を読んで「なるほど」と思いました。
1862年8月30日
リンカンが奴隷制廃止に優柔不断だったと、奴隷制廃止運動の指導者の一人、フィリップスに責められ、「奴隷制廃止のスローガンを受け入れよ」と迫った。
つまり、リンカンにはワード人が指摘していたのは1855年のリンカンの演説で、そのような黒人を対等とみていなかったことが事実だと確認できた。

1862年9月
リンカンが「奴隷解放予備宣言」
1863年1月
リンカン「奴隷解放宣言」

この間、南北戦争は1861年から65年にかけて戦われていた。

リンカンが大統領に当選した1860年には、奴隷解放がまだ日程に上っていなかった。マルクスは「リンカンがその時奴隷解放を闘いのスローガンに掲げていたら当選できなかっただろう」とある。奴隷制廃止は国民多数の支持を得ていなかったということだ。

南北戦争の戦いの中で、1862年の奴隷解放予備宣言が、国民の多数の支持を得ていった。それは1862年11月の中間選挙で、リンカンの共和党が下院選挙で大部分の州で勝利したことはその表れだった。

長久氏の論文を読んで、リンカンも歴史の中で見ていくことが大切だと、わかった次第です。

なお、長久氏は合衆国憲法の修正の手続きについても、大切な話を紹介している。安倍自民党のように憲法を変えやすくするために96条を変えるのは邪道で、アメリカでもちゃんときめられた手続きを踏んで改正している。奴隷制廃止の修正第13条の批准手続きがミシシッピー州で完了したのは148年後の2013年というのも驚きだったが、詳しくは「月刊学習」を見てほしい。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック