「古事記以前」を探る本、中国少数民族の神話と比較して

古事記以前
工藤隆著 大修館書店・刊
2011年10月1日初版

 多分2011年か2012年にこの本を購入して、少し読んでいたが、あまり覚えていなかった。最近、もう一度読んでみた。
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 古事記の読み方で、新しい発見があったのは、「古代の古代」を「古代の近代」においてまとめたものだということを知っておくべきだということです。
 「古代の古代」というのは、文字の持たない時代で、紀元前1万1千年ごろから紀元500年代末を指します。600年、700年代を「古代の近代」と位置付けています。本格的に「国家」が誕生する時代であり、文字が入ってきて古事記がまとめられたのは712年だそうですが、これは「古代の近代」にあたり、何百年も前から語り伝えられた「神話」を記録したものだから、これを史実ととらえられないことはあきらかである。
 古事記は天皇氏族の視点で貫かれている。「したがって、古事記を無防備で読んでいると、いつの間にか優越民族としての天皇氏族の価値意識に同化されるように構成されている。1945年の敗戦までの古事記研究者の多くが天皇崇拝主義者になっていったのは自然な流れであった。」(P88-89)

中国の少数民族の神話と古事記の比較

 著者は、神話を「古層」と「新層」、そしてそれらの中間層に分けることを提唱している。中国の辺境に住む少数民族の神話、今も歌として語られているそうだが、それが「古層」の神話にあたるとみられる。それと古事記の比較で興味深いことが三つあった。

日本では排泄物から食物が

 一つは、排せつ物から食物が生じる神話は中国少数民族の社会にはないということだ。古事記には、イザナミが出産で死ぬ場面で、「クソ」「尿(ゆまり)」「たぐり(おう吐物)」から金属・土・水などの良きものが生じたとする神話や、・・・女神オホゲツヒメが「鼻・口・尻」から取り出したものがおいしい食べ物になったという神話がある。」(P32)。
 ところが中国の少数民族の神話には「排泄物から良き食物」が生じる神話がなかったそうです。

 
なぜ日本だけか、
日本以外では、豚が「清掃局」の役割


 「なぜ日本列島内だけで排泄物から食べ物が生じるという部分が加わったかについては、私はさしあたり、豚がいたか、いなかったかに手掛かりを求めている。・・・アジア全域の農村には必ず豚がいて、彼らが人間の排せつ物を食べる「清掃局」の役割を果たしている。ところが、日本列島では、弥生時代が終わったころから何らかの理由で(たとえば豚特有の伝染病の大流行などによって?)豚の飼育が絶えた。そこに、500年代に流入してきた仏教が家畜の殺生を避ける観念を持ち込んだため、仏教への対抗関係の中で神道も血をケガレとする観念をつくりあげることとなり、日本文化では江戸末期の19世紀まで、家畜の肉食は一般的には忌避されていたのである。
 ともかく、古墳時代のあるときから日本列島の集落から豚は消えた。ということは「豚の清掃局」も消えたことになる。その結果、人糞の処理を人間がしなければならなくなったという状況のなかで、何らかのきっかけで人糞が農作物の生育を助ける肥料として貢献することが発見され、人間の糞尿を肥料に用いるという「技術革新」が生じたのであろう。そのようななかで、排泄物(→肥料)→農作物→おいしい食べ物という、イザナミ・オホゲツヒメ・ウケモチ神話のような」ものが生じたのであろう。(P34)

古事記は優越民族の視点
中国少数民族の神話では自民族の劣っていることを認めている


 もう一つは、古事記は優勢民族の視点で書かれているが、中国少数民族の神話では自民族の劣っている点を認めていることだ。
 「漢族の長男は石で境をつくり、平地をとった。次男のチベット族は草で境をして、野原をとった。3男のイ族は山の木で境をつくり、山をとった。漢族の長男は山の下の田んぼのあるところに住んで、とても賢いことに火事を起こして山と野原を焼いてしまった。そして、それらの土地を全部取ってしまった。だからチベット族とイ族は、漢族にうばわれてしまったので土地はない。」(P87)
「これは、自分たちの生活の貧しさや愚かさを認める神話である。・・・これは自分たちの負の現実の存在を認め、その現実に密着してなおかつそれを神話的物語世界のなかで無化しようとする「神話のリアリズム」である。
 しかしこの現象は、一般に「古事記」のような国家段階の神話においては見られなくなる。それは国家神話というものが、その「国家」及び統治者の権威を高める方向の神話しか採用しないからであろう。・・・負ではあっても自己像として認めようとする「神話のリアリズム」が失われ、国際関係のように、「政治のリアリズム」が求められる場面でも願望・妄想を基準に動いて行きがちな近代日本の行動の源になっている。」(P88)

生け贄文化について
日本では「古代の近代」以来の現象


 三つ目は、生け贄文化のことだ。これが喪失したのは「古代の近代」以来の現象だというのだ。四川省で1997年の調査で、家畜の生け贄儀礼をみる機会を得たそうだ。(P111)
 「動物・家畜(究極的には人間も)を生け贄にする風習を1300年以上も前に失って、その状態のままで21世紀の現代に至っている民族・国家は、世界中で私たちヤマト族の日本国以外にないのではないか。」(P116)
 「低生産力社会で、肉を食べない動物生け贄は考えられない。」(P126)

 この本の第3部には、中国少数民族の神話、イ族創世神話「ネウォテイ」の散文体日本語訳が付いている。同じ話の繰り返しが多いが、一応読んでみた。

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