61歳になって読んだ「赤毛のアン」

作者のルーシィ・モンゴメリは30歳の時にこの小説を書いて、どこも出版してくれなかったので、しまい込んでいたが、33歳の時に自分で読んで、感激して、ボストンの出版社に持ち込んで、大ヒットしたという(1908年)、小説だそうだ。それから30年も年を食った私が読んだのは、この小説の舞台となった、プリンス・エドワード島へ今年は行けるかも知れないということになったからだ。
きっかけは、2008年8月22日付の赤毛のアンに関する「しんぶん赤旗」記事をカナダへ送ったことからだ。そこで何年か後には、一度PEI(プリンス・エドワード島)へ行ってみたいと書いたら、向こうも、「一度は行ってみたい、バンクーバーは後回しにして、9月過ぎなら鯨も見られる」と言うことになった。
娘の残していった本棚に、「赤毛のアン」があった。新学社文庫で昭和56年(1981年)5月1日発行、神山妙子役、学校納入価格400円のものだ。いつ購入したのかは知らないが、この小説で扱っているアンの年齢からすると娘が中学生の頃ではないだろうか。
画像

小説ではアンはみなしごで、空想好きで、よくしゃべる少女で、11歳から15,6歳頃までを扱っている。考えてからしゃべるのではなく、頭に浮かんだことをそのまま口にする少女だったが、つまり、しゃべりながら考えるという感じだが、カナダでそのような人に出会ったことがあったので、妙に親近感を覚えた。たしかにぐいぐいと引き込まれる小説だった。
主人公はアン。赤毛で、本人はそれが気にくわない。名前は、アン・シャーリー。アンはANNEであって、ANNではないと、スペルの最後のeにこだわっている。日本語しかわからない私には、eの有無でどう違うのか、いまだに全くわからないが。
日本人として目に付いたのは、「黄色の日本チリメン」という単語が出てきたことだ。アンが思いついた芝居らしきもので、小舟にかける金襴の布の代わりに、古いピアノかけをそれにしたと言うことだが、明治時代にカナダへも日本のチリメンがわたっていたと言うことか。(P370)
一番感心したのは、アンがその小舟で事故にあって死に損ねたときに、アンが、「今日は新たにとても大事なことを学んだの。「グリーン・ゲイブルズ」(アンが引き取られた家の名称)にきてから、いろいろな失敗を重ねたわ。でもね、そうした失敗のおかげで、なにかしら大きな欠点が一ずつ直っていったのよ」という言葉だ。(P379)
画像


受験を控えた夏休みに、アンが教科書を本棚に収めて鍵をかけ、2ヶ月間、一切手にせず、気分転換を図ったことにも、しかも、それを教師の言いつけでみんなが行ったことのようだが、そのことに驚いた。しかし、カナダの夏休みの様子、仕事の様子を見てきたものにとっては、「さもありなん」との思いもした。(P410)

この小説の最後。奨学金を受けて大学に入学できる資格を手にした成績トップのアンが、人生の曲がり角で下した決断は立派だった。育ててくれたマシューが全財産を預けていたアベィ銀行(P479)の破産でショックを受けて死亡し(P483)、同じくいっしょにアンを育てていたその妹マリラが「グリーン・ゲイブルズ」を手放そうとしたときのアンの決断だった。アンは奨学金を断念し、マリラといっしょに暮らすために、教師になる道を選んだのだ。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック

  • カナダ旅行、プリンスエドワード島(PEI)へ。5千キロのドライブ

    Excerpt: 10月2日から15日(日本時間で)まで、約半月をかけて3回目のカナダ旅行をした。 1回目の旅行は2004年8月4日から約1週間、2回目は2007年8月4日から約2週間だった。 1回目は次のページに.. Weblog: 砂田喜昭のブログ racked: 2009-10-18 17:34