国宝 姫路城を見学して

2月13日から兵庫県姫路市で開かれた自治体政策セミナーに参加した。3日目は午前中で終わったので、帰りの電車時間まで、姫路城を見学してきた。
実は14日、二日目の日程が終わった夕方、南砺市から一緒に参加した中島満議員と一緒に、姫路城の外回りを下見した。
道路から見た姫路城の正面。
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堀を渡り桜門をくぐると、広い公園と広場になっていた。犬を連れて散歩する人も多い。
桜門
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公園から見た大天守
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暗くなってライトアップされた大天守
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15日、自治体政策セミナー参加者の希望者にガイドを付けてもらった。20数名の参加でした。
菱門を入るところ
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まず、西の丸へ。徳川家康の孫、千姫が大阪城から救出され、本多忠刻と再婚させられ、そのために西の丸が建てられたそうだ。千姫がかごに乗って入ってきた坂。かごは横に担いだそうだ。左半分は当時の階段をコンクリで埋めてある。
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西の丸から見た大天守
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化粧櫓。千姫のためにつくられたとのこと。
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西の丸には、梅の老木があった。
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西の丸を出て、いよいよ本丸へ。はの門へ行く通路。映画の撮影にもよく使われるところだそうだ。
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71歳だというガイドの説明は、楽しく、わかりやすいものだった。赤い服を着た人。
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小天守
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その前に、寒桜が咲いていた。冬からずっと咲いているそうだ。
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水の門の側に、油壁がある。土を米の油で塗り固めたものだそうだ。「天正のコンクリート」と呼ばれているそうだ。
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そのすぐ横の石垣に、「姥ヶ石」がある。築城のとき、石垣の石を集めるのに苦労したそうだ。「城下に住む老婆が、臼を「石寄せ」の足しに差し出した」という。網をかぶせてある部分。
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姫路城の大天守から見た姫路市外としゃちほこ
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石垣、客人が通るところはきれいに積まれている。ガイドがいたところの石垣と比較してみてください。1大名が造る城と、天下人が造る江戸城などの石垣と、たいへん違う。この石垣は、笑顔が埋め込まれている。わかりますか。
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このガイドの情熱的な説明に、すっかり感心しました。
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ここで、ガイドとお別れ、ありがとうございました。
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約1時間40分の案内でしたが、もっとじっくりと見学したい思いもあります。今度いつ来られるか。
まだ時間があったので、今度は姫路平和資料館へ行ってきました。
姫路市街地が碁盤の目のように整備されていたので、どうしてかと思っていました。昔、築城の際に、外堀の中に町人の住む町もつくったようで、その名残でしょう。総構えというそうです。
しかし、第2次大戦で空襲で焼き尽くされたそうです。姫路城が残ったのは、住民が黒い縄を城全体にかぶせて、米軍の目をくらましたからだそうです。廻りの堀と木々で黒くなっていて、堀か森と見間違えて、爆撃しなかったそうです。
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  • 40年前の姫路城

    Excerpt: 私の父が1971年2月17,18日に姫路城を移した写真が出てきた。 40年前の姫路城である。 最初は何か店のようなものである。 Weblog: 砂田喜昭のブログ racked: 2010-10-16 18:22