シベリア抑留に戦前の日本政府が関与していた

 前衛1月号のスターリン秘史第24章対日戦の終結(不破さんの著)を読んで、戦前の日本政府がソ連に「大陸にいる日本人をできるだけ大陸に残留するようにせよ」と働きかけていたことを知って、驚いた。
 その根拠となる文書が、ソ連崩壊後の1993年、ソ連国防省のアルヒーフから、関東軍がソ連側に出したものにあったという。全国捕虜抑留者協会の会長であった斎藤六郎氏が発見したものとのこと。(前衛P222)

 ソ連参戦2日後の8月10日、梅津参謀総長の命令で朝枝繁春参謀が関東軍に派遣され、冒頭に紹介した内容の命令書を伝達したとのことです。朝枝がソ連側と交渉して8月26日付で大本営に提出した「関東軍方面停戦状況に関する実施報告」にその旨記載されている。
 さらに8月29日に、関東軍総司令部が、ワシレフスキー元帥宛『陳情書』を提出、この執筆者が瀬島隆三参謀。軍人について「極力貴軍の経営に協力する如くお使い願いたい」「食糧、交通、一般産業の運営に相当役立つものと考えます。」「撫順等の炭鉱において石炭採掘にあたりもしくは満鉄、電電、製鉄会社等にはたらかせて頂き」とあるそうです。(同P224)

 不破さんは、「シベリア抑留の元凶がソ連でありスターリンであることは言うまでもありませんが、大本営と関東軍が最初から進んでこれに協力し、シベリア抑留の推進者となったこと、その意味では、シベリア抑留はソ連と日本の戦争指導部が合作で引き起こした悲劇だ」と指摘している。(P225)

 これに関して思い出すのは、かつて松本小矢部市長が、「小矢部市出身の瀬島隆三を名誉市民に」との話が出た時に、絶対に首を縦に振らなかったということだ。松本市長は私の父と同い年で、戦争体験があり、瀬島がシベリア抑留で取引してよい目にあっていると聞いていたのではないか、と想像している。

 私が共産党に入った一因に、私の叔父がシベリアで病死し、その生まれ変わりだと聞かされて育ったこともある。

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