「君が代」の起源を読んだ

「きっこの日記」に紹介されていた藤田友治著「君が代」の起源を、県立図書館から取り寄せてもらって、読んだ。
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藤田氏は1947年生まれだそうで、私と同い年である。君が代を学校で強制することにも反対の立場である。
細石がどうして岩になるのか、理解に苦しんだそうだが、その解明を、歴史を辿ってすすめていた。鍾乳洞で石灰を含んだ水がしたたり落ち、それがつららの反対で石の柱になることが一つのヒントだとか。
君が代の本になった歌は、死者を弔う歌で、めでたいところで歌う歌ではなかったという説には、驚いた。

万葉集の次の歌が本の歌だそうだ。

妹が名は 千代に流れむ 姫島の
小松が末に苔むすまでに(二二八)

この歌を本に古今和歌集で次の歌になったとのこと。

我が君は 千代にましませ さざれ石の
巌となりて 苔のむすまで

これが明治になって君が代になった経過も詳しく書かれている。薩摩藩の砲兵隊長大山巌が、当時九州で歌われていた琵琶歌「蓬莱山」から歌詞を採って、イギリスの軍楽隊長フェントンに作曲を依頼したものだそうだ。「蓬莱山」の歌詞は古今和歌集の詠人知らずの歌が本だとのこと。

ところで、そのもとになったのが万葉集の歌だそうだ。最初の万葉集の歌は、戦死した若者を悲しんで自死した乙女を歌ったものだとか。その戦争が、朝鮮半島で、高句麗軍と戦った紀氏集団の戦いだそうだ。それにくわわったのが、久米氏一族で、その若者たちの戦死を悲しんだ乙女の自死を歌にしたものだそうだ。そしてこの集団こそ、九州王朝だったとのこと。

このあと、近畿王朝との戦いの結末から、君が代が挽歌と、賀歌との二重の構造を持っていると進んでいく。

「「記紀」神話では、天孫降臨において、先住勢力は岩石信仰をバックにした石長比売(いわながひめ)に代表された。一方「天降り」した勢力は九州の先進文明圏を政治的・軍事的に支配するが、被支配民・先住勢力との精神的「和解」が必要なのである。「記紀」ではニニギノ尊は石長比売を「みにくい」といって拒否し、妹の木花之佐久夜毘売をえらんでいる。だが、この土地を支配するには先住勢力の岩石信仰を代表する石長比売らとの「和解」が必要となってくる。それゆえに岩石信仰をバックにした「君が代」が歌われていたのである。こうして両勢力によって歌われるのが、「君が代」なのであった。これを被支配民・先住勢力からいうと、「君が代」は挽歌であり、「天降り」した勢力からいうと「君が代」は九州王朝の讃歌」となるのである。そもそも、「君」という二人称は対他者との関係を本質的に意識し、そこに「寿命」を祈願することで対他者との「和解」を誓うのである。」(P149)

著者の次の結論には、私は大賛成である。
「最後に一言
「君が代」はそもそも賀の歌ではなく、元来は死者を悲しんで、棺を引くときに歌われる「挽歌」であった。それが、今日祝いの日に歌われるとは、なんという悲喜劇であろうか。しかも、入学式・卒業式で強制されて歌わされるとは、そこでは思想・良心の自由は死んでしまうのではないか。歌の持つ本来的な自発性は抑圧されるのではないだろうか。
戦いで死んでいった人々に想いを刻み、死者への深い悲しみから、「君を殺した」戦争でなく、「君の平和」を願う「魂の再生」こそ、平和憲法を生かす道であり、今ほどそれが求められていることはないであろう。」(P151)

和歌を詠むことはほとんどできない私だが、だから、歌の意味をくみ取ることもできないのだが、この著者の結論には共鳴したので、ここに紹介する。

3月16日記
いろいろ検索していたら、同じような見解が見つかった。
『溝口流「君が代」挽歌論の論理構造』 矢吹 晋(横浜市立大学名誉教授、21世紀中国総研ディレクター)である。
次のページを参照。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/msatou/05-04/050418yabuki-kimigayo.htm

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